
第16章
四十三キロ
籠が上がってきたのは、下ろしてから三日目の昼だった。
下りに十九時間、上りに十九時間。残りは、籠が下で止まっていた時間だ。誰かが下で何かをしていた時間、という意味でもある。
ウィラは三日とも、塔の下で寝た。
牛が四頭、巻き取り機を回している。鎖が巻かれる音が、朝から続いていた。
最後の十メートルで、坑夫の一人が声を上げた。
『来たぞ』
籠が穴から出てきた。
ハーランが秤の目盛りを読んだ。
『四十三キロ』
ウィラが走った。誰も止められなかった。
*
籠の中には、水の入ったガラスの筒が一本。
そして、その筒に紙が巻きつけてあった。
ウィラが紐をほどいて、紙を広げた。
広げてから、しばらく黙っていた。読むのが遅いからではない。
「…字、下手すぎ。なにこれ。なにこの字」
『読めますか』とロズリンが言った。
「読めるよ。読めるけど下手。ほんっとに下手」
そう言いながら、ウィラの手は震えていた。
ウィラは声に出して読んだ。三回つっかえた。
生きている。下に一人いた。九年生きている。
十四人は死んでいない。十三人は死んだ。並べてある。
籠では上がれない。別の道を登る。三十日かかる。
三十日たっても来なかったら、もう少し待て。
答えはまだ無い。上で言う。
読み終わって、ウィラは紙を胸に押しつけた。
それから、しゃがんで、両手で顔を覆った。
「生きてるって書いてある」
誰も答えなかった。
「生きてるって、自分で書いてるじゃん。ばか。ほんとにばか」
そこから先は声にならなかった。三十秒ほど肩が上下して、それから立ち上がって、鼻を袖で拭いた。
「ロズリンさん。これ写して。二枚。ううん、三枚」
『三枚写しました。読み上げている間に』
「えっ、は? もう? 早くない?」
『職業ですので』
ロズリンは眼鏡を押し上げた。少しだけ胸を張っていた。
*
サイラスが手を出したのは、そのすぐ後だった。
『その紙は帝国の坑内から出たものです。記録として本部へ送ります。お渡しください』
「やだ」
『規則です』
「やだってば」
サイラスが一歩踏み出したところで、ドラグが間に入った。入っただけで、何もしなかった。
それで足りた。サイラスの頭は、ドラグの胸までしかない。
「メレディス。質問がある」
『どうぞ』
「直近六回の籠の重量記録に、おまえの判子が押してある」
『押しました』
「六回とも四十三キロだ。籠だけなら四十キロだ。三キロ多い」
『そのとおりです』
「気づいていたか」
サイラスは眼鏡の位置を直した。
『気づくも何も、私が量りました』
「書類には空と書いた」
『籠に人が乗っていない状態を、空と呼びます。三キロの積荷は積荷欄に記載しております。別の欄です』
ハーランが、顔を上げた。
「積荷欄の書類は、ここに回ってこない」
『はい。本部直送です』
「九年、私は空だと思っていた」
『空です。人は乗っておりません』
ハーランは、それ以上何も言わなかった。火傷の跡のある側の顔は、もともと表情が出ない。出ないほうの側で立っていた。
*
その晩、ドラグは護衛と御者を集めた。
『荷車は明後日出す。哨所で空荷を受け取って、西へ帰れ』
「隊長は」
『残る』
「規則では」
『規則は知っている。書類はロズリン・ヴェイクに書かせる。おれの判断だ。責任もおれだ』
誰も反論しなかった。オークの隊長が一度言ったことを、三回言わせる部隊ではなかった。
ウィラは、言われる前に言った。
「あたしも残る」
『荷役の契約は往復だ』
「破る」
『違約金が出る』
「払う。あたしの銅貨、まだ手つかずだもん」
ドラグは、名簿の端に線を引いた。
『違約金は保留にする。三十日後に決める』
*
翌朝、サイラス・メレディスがいなかった。
小屋は片づいていた。荷物も、書類も、判子も無い。寝台の布は畳んで枕の上に置いてあった。
馬が一頭と、水が二十リットル減っていた。
ハーランが、馬の置いてあった場所の足跡を見た。
『東だ』
「東に何がある」とドラグが訊いた。
『何もない。馬で六日だ』
「六日先には」
ハーランは、答える前に一度、塔のほうを見た。
『孤独の大地だ。行った者から話を聞いたことがない』
ロズリンが板に書いた。書きながら、小声で言った。
「二日目です」
『何がだ』
「マーロウ・ケインが登りはじめて二日目です。着くのは三十日目。メレディスが馬で六日なら、二十二日早く向こうに着きます」
第十六章 了
── 第16章 おわり ──