
第13章
十九時間
籠は、思っていたより粗末だった。
鉄の枠に板を張っただけの箱で、大きさは大人一人が膝を抱えて座れるくらい。上に鎖がついている。鎖の太さは親指ほどで、それが塔の上の滑車を通って、巻き取り機に繋がっている。
巻き取り機は牛が回す。四頭で回す。十九時間かけて下ろし、十九時間かけて上げる。
『積めるのは百二十キロまでです。それ以上は鎖が保証できません』とサイラスが言った。
「おれは七十二キロだ。何か持って下りられるか」
『水と、灯りと、工具。合計で八キロまで』
「食い物は」
『ご自由に。ただし八キロの中です』
マーロウは、その八キロの内訳を三回計算し直した。
*
ドラグが反対したのは、出発の前の晩だった。
『おれが下りる』
「オークが入る大きさじゃないだろ、あの籠は」
『膝を折れば入る』
「体重は」
ドラグは黙った。
「百四十キロはあるだろ。鎖が切れる」
『百三十六キロだ』
「籠が四十キロある。五十六キロ超えてる」
ドラグは、しばらく黙ってから、短く言った。
『兄を探しに来た。おまえを下ろしに来たんじゃない』
「おれも兄貴を探しに来たわけじゃない。三年前に東へ来た男を探しに来た。同じ場所にいる」
ドラグは、それには答えなかった。
答える代わりに、腰の袋から金属の名札を一枚出して、マーロウに押しつけた。街側の船から出た、あの名札だった。
『下で会ったら返してやれ』
*
ウィラは、朝まで口をきかなかった。
籠の前まで来て、荷を縛るのを手伝って、それでも何も言わなかった。
マーロウが籠に足をかけたところで、袖をつかんだ。
『ねぇ』
「なんだ」
『灯台のとき、あのスフィンクスに聞かれたでしょ。七日で何がしたいんですかって』
「聞かれたな」
『答えた?』
「答えてない」
『今は?』
マーロウは籠の縁を握ったまま、少し考えた。
本当に考えた。三十日以上、ずっと後回しにしていた質問だった。
「…まだ無い」
『そう』
ウィラは袖を離した。離してから、もう一度つかんだ。
『じゃあ、上がってきて言って』
「何を」
『答え。下で考えて、上がってきて、あたしに言って。それが約束』
「約束にしては安いな。おれが何か言うだけだぞ」
『安くないよ。上がってこないと言えないんだから』
マーロウは口を開いて、閉じた。
三年間で、四度目だった。
「分かった」
『言った。今、分かったって言った。ロズリンさん、書いて』
「書きました」とロズリンが言った。「何時何分まで書きました」
*
籠が下がりはじめた。
最初の十メートルは、地面の穴を通るだけだった。周りが鉄の管で、その隙間から灰色の岩が見える。
五十メートルで、上の光が丸くなった。
二百メートルで、丸が点になった。
三百メートルで、消えた。
灯りは油の小さなランプが一つ。八キロの中から選んだものだ。炎が上を向かない。籠が下がる速さのせいで、炎が横に寝ている。
音は三つあった。鎖が軋む音。籠が管の壁に当たる音。それから、自分の呼吸だ。
一時間ほどで、壁の色が変わった。灰色から、赤黒い色に。
三時間で、暑くなった。
五時間で、汗が出なくなった。体が乾いたのではない。汗が出る前に蒸発している。
マーロウは水を飲んだ。渇きは感じない。それでも飲んだ。ヴェスタが言ったことを覚えていたからだ。感じないものほど、数えて管理しろ。
*
八時間目に、壁が無くなった。
管の隙間から見えていた岩が、急に遠のいた。ランプの光が届かない。籠は空中を下りている。
大きな空洞の中に入ったのだと分かるまで、数分かかった。
声を出してみた。
「おーい」
返ってきた。四回返ってきた。四回目は、ずいぶん遅かった。
広い。どれくらい広いのか、見当がつかない。
十分ほどで、また壁が現れた。今度の壁は、岩ではなかった。
平らだった。継ぎ目が見える。金属だ。
ランプを近づけると、表面に細い線が走っていた。線は規則正しく並んでいて、途中で直角に曲がって、また並んでいた。
錆びていない。
マーロウは十年、拾い屋をやっている。錆びない金属は、この世に三種類しかない。三種類とも、人が作れるものではない。
*
十四時間目に、眠くなった。
二十日あまりぶりだった。
それが怖かった。痛みが消え、寒さが消え、渇きが消え、眠気が消えた。その眠気が戻ってきている。
戻ってきているということは、下へ来たせいだ。
マーロウは眠らなかった。自分の膝を思い切りつねって、痛くないことを確かめて、それでも眠らなかった。
*
十八時間目に、匂いが来た。
塩だ。
禁止区の匂いでも、乾いた窪地の匂いでもない。濡れている。
マーロウは、生まれてから一度も、濡れた塩の匂いを嗅いだことがなかった。
十九時間目、籠が止まった。
鎖が緩んで、籠が少し傾いて、板の底が何かに触れた。
ランプを持ち上げた。
床があった。金属の床だ。
そして、その床の上に、灯りが一つ点いていた。
マーロウのランプではない。もっと白い光だ。油の炎ではない。
光の横に、人が立っていた。
第十三章 了
── 第13章 おわり ──